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旧生駒トンネル心霊体験:夏でも鳥肌が立つ冷気と霊気の心霊スポット
東大阪市の石切にある近鉄の旧生駒トンネル。
中には入れないように柵がしてありますが、その異様な雰囲気は近くに行くと伝わってきます。
それもそのはずこの旧生駒トンネルは、トンネルを掘る工事中や現役のトンネルとして活躍していた頃の多くの死者を出している恐怖にあふれるトンネルなのです。
旧生駒トンネルの場所
旧生駒トンネルは大阪と奈良県の生駒を結んでいたトンネルです。
奈良県の生駒川のトンネル出入り口は現近鉄けいはんな線のに使用されているために旧生駒トンネルとしてはありません。
近鉄けいはんな線が開通する前は、近鉄奈良線の生駒駅から電車に乗って北側の窓から旧生駒トンネルが見えて幼少ながらぞっとしていました。
1986年(昭和61年)4月1日に近鉄東大阪線として生駒から東大阪の長田が開通して旧生駒トンネルの生駒口のほうに電車が通るようになりました。
近鉄東大阪線は、2006年3月27日学研登美ヶ丘駅まで延長されその時にけいはんな線に名称が変わりました。
現存する旧生駒トンネルは、大阪の東大阪側のみになります。旧生駒トンネルの場所は、近鉄石切駅の東側の上に位置するところで石切駅から徒歩でも10分くらいです。
近鉄の石切駅を降りて山を背に改札口を出て右側(東側・奈良方面)に歩いていきます。右ななめ側に上っていく道がありますが、まっすぐ進みます。そしたらT字路になりますので右に曲がり上り坂を登ります。
そしたら150メートルくらいいくと旧石切駅痕とその先に旧生駒トンネルが顔を出し心臓が止まりそうになります。
旧生駒トンネルにまつわる心霊都市伝説
旧生駒トンネルには、数多くの心霊現象が伝えられています。
①トンネル付近で人の影や白いものを見ることがある。
②奈良方面行きの最終列車に乗るとトンネル内で決して満員でない車内がだんだん満員になるという。この話は、近鉄側も考量して最終列車のあとに回送列車を走らせるなどしたが意味がなかったいう。
③トンネル内を通過中に窓に車内にいない人が移る。
などなど旧生駒トンネルにおける心霊現象は数多く報告されています。
旧生駒トンネルで心霊体験
昔の話ですが、3回旧生駒トンネルに行きました。
夜1回と昼2回です。
昔は自由に火トンネルの近くまで行けたのですが、今は近鉄と近くの日下自治体により頑丈な鉄柵がしてあり中にはいることはできません。無理に入ってはいけません。
旧石切駅を通り旧生駒トンネルのほうに歩いていくとどんどん温度が下がっていくのがわかります。そして自分の体温も下がっていくのがわかります。
頭の先から足先まで鳥肌が立ってきます。
トンネルに近づくとトンネルの奥からとんでもない冷気が吹いてきます。夏なのに寒いのです。
心理的にも恐怖感に怯えているので震えが止まりません。
その時は友人と数人で行ったのですが、友人の一人がちょっと霊感があるのか幻聴なのかは定かではないのですが、男の人の話し声がトンネルから聞こえると言っていました。
それを聞いて本格的に危ないと思い、引き返しました。
そういう心霊体験を後押しする材料がこの旧生駒トンネルにはたくさんあるからです。
旧生駒トンネルで起こった恐ろしい事故
旧生駒トンネルが心霊スポット扱いになっている背景はただの廃線トンネルではないということからである。
そしてこの生駒山というのは、生駒山信貴山とつながっているのですが宗教施設なるものが数百以上ある霊山なのである。
その旧生駒トンネルの事故について説明します。
トンネル開通工事で落盤事故
旧生駒トンネルは1914年に開通したのですが、工事は難航しました。1911年からはじめられた開通工事は生駒山の地形や地質に問題があるのか、湧き水や土壌が緩く工事が思うように進まない。当時、朝鮮人出稼ぎ労働者も多くいまして後には問題視されています。
その難航する開通工事に悲劇が起こりました。1913年1月26日に落盤事故が起こり152名が生き埋めになり20名の死者をだす大惨事となりました。
子供の頃には旧生駒トンネルに人柱があると言われいたのは、この事故が原因なのでしょう。
旧生駒トンネルの工事の請負は大林組です。
なお、1984年3月28日に近鉄東大阪線の新生駒トンネル(旧生駒トンネルを途中から使う)の開通工事中に大阪側で落盤事故を起こしました。死者はいませんでしたが、お詫びに石切駅が急行停車駅になりました。
土壌がかなり危ないみたいです。
生駒トンネル電車追突事故
開通したあともこの旧生駒トンネルは祟られているのかように事故が相次ぎます。
1946年12月24日生駒トンネル内で追悼事故が起こります。トンネル内に停車していた上六行(現大阪上本町駅行き)上り901急行電車が信号停車中のところに上六行き974普通列車が追突して18名が犠牲になり53名が負傷する事故が起こりました。
生駒トンネル車両火災事故
そして翌年の1947年4月16日に上六行きの普通列車の床下から出火して車両火災が起こりました。この車両火災事故で28人が犠牲になり58人が負傷する大惨事となりました。火災は床下の抵抗器が燃えたことによります。
生駒トンネルノーブレーキ事故
またその翌年の1948年3月31日に生駒トンネルノーブレーキ事故がと呼ばれる事故が起こりました。どの列車もほぼ満員状態の時間帯です。
これは生駒トンネル内で上六行き急行の空気ブレーキが破損してブレーキが効かないままに大阪方面の急な下り坂を暴走して、河内花園駅に停車中の普通列車に80キロくらいで衝突しました。49名が死亡して282人が負傷しました。
今は河内花園駅は高架になりましたが、少し前までは下にあり踏切のところに大きなお地蔵さんがあります。
その日瓢箪山駅に停車していた準急は、石切駅を止まらずに通過した急行の異変に気づき、職員たちの連携を取り急遽ポイントを切り替えて待避線に入れた。その直後に100キロくらいのスピードで暴走列車が通過しました。瓢箪山で追突になっているとさらび犠牲者が出ていたという言います。
この事故は生駒トンネル内で事故が起こったのではありませんが、トンネル内でブレーキが破損するという事故です。
この立て続けに起こる事故に人々は、生駒トンネルの怨霊のせいと言うことも少なくなかった。
近鉄東大阪線トンネル火災
1986年10月1日に、旧生駒トンネルを途中から使う新しく開通したばかりの近鉄東大阪線でも惨事が起こった。トンネル内のケーブルから火災が発生してトンネル通過中の7000系が立ち往生。乗客1名が死亡する事故になりました。
恐るべし旧生駒トンネル
こんなに6件の事故を起こすトンネルがほかにありますでしょうか。
この立て続けに起こる事故に人々は、生駒トンネルの怨霊のせいと言うことも少なくなかった。
そういこともあり旧生駒トンネルは心霊スポットとして知られているのです。
まとめ
旧生駒トンネルはで感じる霊気の裏付けはあるので、ただのオカルトネタではありません。
今は、近鉄と自治体によりトンネルの近くにまでは入れないようになっています。
旧トンネルの横にある小さな鳥居と祠に遠くから手を合わすことしかできません。
私たちは、先人の苦労や犠牲に上に豊かな暮らしができているということを認識しなければなりません。
もし近くに来られることがあれば、遠くから手を合わしてみてください。